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女叩きという言葉で都合の悪い指摘から目を逸らす人間が幼稚な理由

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もっともな批判や指摘を誹謗中傷や理不尽な攻撃として受け止めている限りいつまでも問題は解決されない。叩かれる原因を見るのではなく叩く側の意識や態度の問題にすり替える限り同じ過ちや間違った考え方を持ち続けるだけだ。それはただの逃げであり成長のチャンスを棒にふる事にしかならない。

 

女叩きという言葉の問題はそうした点にある。

 

もし内容が間違っているのであれば内容の間違いを批判すればいい。女叩きなどという言葉を使うまでもなく、そもそも指摘の内容自体が間違っている事を示せばそれで済む話だ。そしてもし内容が正しいならそれは女叩きではなく指導であり女性教育である。素直に受け入れ自分を振り返ればいい。

 

だが女叩きという言葉を使ってそのばしのぎ的に批判をかわそうとする者が一定数いる。ではなぜ「女叩き」という言葉が必要なのか?答えは簡単で相手に対して間違っていると言い切れないからだ、反論も反証もできないからだ。

 

男ならもし批判されても批判には批判で答えればいい、矛盾を指摘しお前こそ間違っていると叩き返せばいいと考える。それが言論であり表現というものだ。

 

だが女叩きという言葉を使う人はそれをしない。まるで手紙が入っている封筒ごと破り捨てるように、女叩きの内容自体と向き合うこともせず女叩きであると外側から攻撃するのだ。そこには言葉も意見もない、ただ嫌なものだから受け入れないという幼稚さだけがある。

 

女叩きという言葉で批判から逃げる女は自らの手で女叩きは正しいと証明しているのだ。