読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

女はいいな、たいした実力がなくてもスポーツ選手になれて・・・

ある程度真面目にやってる競技者全体の平均的なスペックさえあれば女はトップアスリートの仲間に入れるじゃん?

 

男は無理、競技者のトップにならなきゃだめ。でも女なら競技者の平均的な実力程度でスポーツ選手としてゴハンが食べられる。金も名声も手に入る、うらやましい。

 

ブスでない限り女は得だ、能力の低さにみあった低い待遇を与えられることを”免除”されているし、能力の割に高い待遇を与えられる”特権”も手にしている。

 

「男なら力が強くて足が早くて当たり前、女は頑張ってる!」だって?女より体格に劣る男もいるし病弱な男だっている。性別は理由にならない。

 

結局はより強い筋肉を、より強い内蔵を、より大きな骨格を持つものがスポーツでは圧倒的に有利だ。

 

だが俺は背が低いから背が高いのはズルい!俺は筋肉がつきにくいから筋肉質なのはズルい!体力がないから体力がある奴はズルい!という理由で勝負する土台をいちいち変える意味はあるだろうか?

 

同じ土台で戦うからこそ競争なのであり、そこで打ち勝つからこそ勝利に価値があるのだ。

 

骨格や体力を理由に土台を変えれば変えるほどそれは競争から離れていき、勝利の価値は薄まっていく。極論をすれば「ジブンと全く同じ条件でこの成績を出す人間はいないからジブンが優勝」というオンリーワンの世界に閉じ守ることになるだろう。それは競技ではない。

 

現在スポーツは男女別で行われるのが主流だ。男女間の基礎的な体力の差が理由に上げられるが、それは体力に恵まれた女性が不当に有利になり体力に恵まれない男性だけ不当に不利ではないだろうか?

 

もしそのような体力の差を理由に分けるのなら競技とは無関係な”男女別”ではなく”体力別”のリーグ分けをすべきではないだろうか?体力差は男と女の間にあるのではなくあらゆる個人の間に存在するのだ。女という特徴を持つものだけ体力差を”免除”されるのは不当な差別と言える。

 

女性であるというだけで低い能力で活躍できてしまう現状は女性へのただの甘やかしであり間違った自己肯定感を与え不釣り合いな自尊心を増長させることにつながってしまう。男性であるというだけで生まれ持った体力の低さへの優遇措置を与えられないという差別がスポーツ界では蔓延しているのだ。

 

囲碁や将棋などのように体力の差という建前すらなく実力がなくとも女であるだけでプレイヤーとして生計をたてられる差別的構造がある世界すら存在する。

 

「女は甘えるな、男は甘やかすな」とスポーツを含むあらゆる競技に物申したい。