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モテない男はまずは女を泣き出すまで本気で怒鳴りつけられるようになれ

モテない男は皆優しい、極端に優しい。女が自信満々に語るつまらなくてありふれていて平凡な意見に、「おもしろい!」「貴重な話だ!」「そんな見方があるんだ!」と微笑みながら相槌を打つ。

 

もし男同士で友人の会話なら寛容で思いやりのある態度を評価されるだろうし、相手は「あいつは俺のつまらない愚痴に嫌な顔ひとつせず聞いてくれた」と恩義を感じる。困った時にあなたを助けてくれることだってある。

 

だが女との会話の場合は逆だ、あなたのことを”つまらないオトコ”として蔑み格下として扱う。あなたを「ヘラヘラ笑ってバカみたい、こんなことすら知らなかったのね」と見下しつつ「ワタシは賢くて美人♪」という心地良い万能感を肥大化させる。

 

思いやりの言葉を感謝として捉えず、あなたの「ランク」が低いことから来る当然の”媚びへつらい”として捉える。レベルの低い男の相手をする対価として当然支払われるべき待遇として捉えられるのだ。

 

基本的に思いやりや礼儀は性善説を元に成り立っている。相手が良くしてくれたら自分も良くしよう、相手から頭を下げたら自分も頭を下げよう、という互いに配慮しあうのが当然という前提で成り立っている。もし相手が身勝手で都合の良い態度を取るのであれば善意のタダ食いをされるだけで一方的に損をする仕組みなのだ。だからこそ相手を信頼して犠牲を払うコミュニケーションは互いの善意があって初めて成り立つのだ。

 

通常の関係であれば素晴らしいコミュニケーションの形なのだが、モテない男の場合この善意のコミュニケーション以外に女との接し方を知らないのが問題なのだ。

 

考えてもみてほしい、どんな時でも何をされても優しく楽しくもてなして来る相手がいたとしよう。どんなにぞんざいに扱っても自己肯定感を得るためのマウンティングの道具にしても金を巻き上げても、態度を変えない相手がいたとしよう。

 

はたして対等の人間として見るだろうか?召使か奴隷のように感じるのではないだろうか?バカじゃないのかこいつは?と思うだろう。

 

だがこの召使や奴隷こそ、ヘラヘラ笑いながらつまらない話をされて「会話ができた!」と嬉しそうな顔をするモテない男であるあなたなのだ。善意のコミュニケーションを取れば誰に対しても良好な関係が気づけると思い込んでいるあなた自身なのだ。

 

 なぜ友人たちに成り立つ善意のコミュニケーションが女に成り立たないのか?それは理由付けにある。

 

友人はあなたの態度を思いやりや優しさゆえの行動と解釈する、それはあなたと友人は対等の関係だからだ。だが女は最初からヘラヘラ笑いニコニコし続けるあなたを「媚びる非モテ」としてしか見ない。あなたの優しさや配慮はすべて女とのあなたの性的価値の差として評価されるのだ。

 

もっとはっきり言えばあなたは舐められているのだ。

 

あなたがブサイクだからでも低所得だからでも話がつまらないからでもない、あなたが舐められているからだ。ペコペコするだけのプライドも自信もない人間として扱われているからだ。

 

この「舐められた状態」でいくら優しい言葉をかけようと笑わせようと助けてやろうと、女からはすべて対等でない男の相手をしてやっている対価として受け取る報酬としか見えない。

 

何度でもいうがあなたがモテないのは男としてのレベル低いからではない、舐められているからだ。貴方自身も蔑ろにされている感じやまともに話を聞いていない感じは持ったことがあるはずだ。それは舐められている人間なら誰もが持つ感覚だ。あなたは実際に舐められていたのだ。

 

男としてのレベルが低くてもモテる奴はいると言ったが、実際あなたよりもレベルが低くてもモテる奴はいる。ブサイクでフリーターで話がつまらない奴らがモテるのは社会不適合者故にふてぶてしくて態度がでかく失礼な事を平気でいうので女から舐められないためだ。「この人はワタシに媚びないのね」と判断される。

 

女は男をまず2種類にふるいにかける。「媚びる組」と「媚びない組」の2つだ。もちろん前者が舐められる側であることは言うまでもない。

 

もしあなたがモテたいのならまずはこの「媚びない組」に入る必要がある。そうしなければいくら面白い話を仕入れようがどれだけ素敵なレストランに連れて行こうが無駄なのだ。逆に言えばここさえ乗り切れば足切りは避けられる。

 

では媚びない組になるには具体的にどう振る舞えばいいのだろうか?

 

当たり前だがどんな話に対してもヘラヘラ笑顔で頷くのはアウトだ。むしろ逆にダメ出しをするくらいにしたほうがいい。それでも間違った態度が治らないのであれば間違ったところを見つけて徹底的に謝るまで罵倒するぐらいしなければ人を舐めてもいいという甘い考えを入れ替えさせることはできないだろう。

 

恋愛において常に強者だった女ほど性的価値観を対人関係に反映させても許されるという観念が強化されていることが多い。それはもう許されないという事を教えてやるのだ、あなたの手で。

 

非モテは優しいが、その根底にあるのは「相手にしてもらえて有り難い」という感覚だ。このスタート地点から土下座するような形でコミュニケーションを取る事に全ての原因がある。恋愛も交渉であると捉えてみればいままでのあなたがどれだけ間違っていたかわかるだろう。

 

ペットの犬も甘やかされすぎると人間相手に家族のリーダーとして振る舞おうとする。もちろんこれは犬が悪いのではなく躾のできないご主人が悪いのだ。非モテ男に偉そうな態度でも許されると勘違いしているのも元を正せば男たちがその場しのぎの間違ったメッセージを送り続けたせいだと言える。その間違いを正す責任を負っているのは誰だ?もちろん男自身だ。

 

 舐められていることが原因だと説明したが、非モテであればあるほど具体的にどんなマインドセットで望めば良いのかわからない男がほとんどだろう。そこで舐められないためマインドセットを持つコツを教えたい。簡単だから覚えてほしい。そのコツとは

 

「あなたは女性教育者である」

 

だ。今までの「あなたは奴隷である」というマインドセットを今日から入れ替えるのだ。

 

間違っていたら叱る、謝ったら許す、学べば褒めてやる

 

これをするだけで人間的にも一歩成長し本当の意味で相手を思いやれる男に成長できるだろう。今までのあなたは舐められてきたが、裏を返せば相手にしてもらえるなら相手が間違えていても構わないと考えていたとも言える。そのその場しのぎのご機嫌取りを一貫して取ってきたつけが彼女達をダメにしてきたのだ。

 

あなたは今日から女性教育者だ。間違っていたら全力で叱りつけ、そして全力で褒めてやる。こうしてあなたを舐めなくなった時、あなたの意中の人は初めてあなたの優しさに気づくのだ。

 

あなたは今まで優しすぎたがゆえに甘やかしすぎてしまっていた。だが彼女だけが悪いのではない、あなたにも責任がある。男なら全力で責任をとる覚悟が必要だ。

「安い電気に替えるか、稼ぎのいい旦那に替えるか」から考えるCMにおける男性差別

安い電気に替えるか、稼ぎのいい旦那に替えるか

 

このセリフはENEOSでんきのTVCMの「主婦の決断」編に出てくるものだ。ターゲットは家計に敏感な専業主婦層だろう。ENEOSでんきに変えることで電気代が安くなるというメッセージと、主婦側に選択権があり旦那より立場が上であるということを匂わせるセリフで、快の感情とENEOSでんきに乗り換える事を同一視させる作りとなっている。

 

旦那を交換可能な道具か部品のようにみなさせることで主婦層(共働と無職の両方を含む)に心地よいメッセージとして届ける意図だと思われるが、あまりに品がない内容でポリコレ的にも完全にアウトではないか?というCMをあえて企画し制作し公共の電波に流す姿勢には企業としての社会への考え方がよく現れていてむしろ清々しくすら感じるほどだ。

 

さてこのCMだが、内容からして炎上狙いではないか?と思ってしまうほど男性蔑視的だ。

だが今のところジェンダーに敏感なはずの権利団体の方々が騒いでいるという話は聞かない。一体なぜなのだろう?

 

このCMの男女をもし入れ替えたらどうだろう?

 

「安いハウスキーパーに変えるか、それとも若くて綺麗で役に立つ嫁に替えるか」

 

炎上が目に見えている。おそらく女と違い冷静な男性の場合は文句を言ってこないという前提で作られているのだろう。だがたとえ男性が文句を言わなくとも腑に落ちないところがある。ジェンダーや男女の人権を保護する団体達がなぜ黙っているのか?だ。CMで「僕食べる人」程度のフレーズに過敏に反応するあの連中が黙っているののはなぜなのか?

 

それは結局ジェンダー論やら男女のせいにおける人権活動だのを標榜している団体は、ただ「女が女を持ち上げる」だけの活動していないからだ。人権は女性の人権であり、差別反対は女性差別反対という意味で、公平で平等な性を目指しているわけではない。要は「都合のいい時だけ平等を振りかざしているだけ」の団体なのだ。

 

女や団体が発する「女性差別」と言う言葉を聞いたら、これからは被害者ポジションでマウンティングしたいだけだと醒めた目で見るといい。ああ、またいつものやつをやってるな、と。

 

鬼十則で過労死しても仕事を離すなという訓で最近一躍注目されている電通、その元電通マンはあちゅういわく偏差値40の人間にもわかるように作るのが宣伝というものらしい。

 

 だとすればあのCMは偏差値40の層が見れば心地よく刺さる作りになっているのだろう。ターゲットは主婦なのでそういう意味では間違っていないのかもしれない。

 

だが公共の電波を見るのは主婦だけではない、男性だって見るし働いている女性だって見る。そして子供だって見るのだ、あのような教育によくない差別的な表現をするべきではない。

 

このようなCMがまかり通ってしまうのは結局男性が現在は迫害して良い性、軽く扱っても良い性として認識されているからだ。これは女や女性の人権を主張する団体が男を迫害(平等のためには許されるらしい)しているだけではなく、男が男自身の手で価値を軽んじてきた事も原因の一つだ。

 

だれもが理性や知性の手綱を握り続けられるわけではない、中には特有の感情的な思考で都合の良い主張だけを繰り返そうとする者もいる。主張しなければならない。

ナンパが迷惑なのはそう感じる女が甘やかされすぎてアホになっているから

ナンパは迷惑と言う人も世の中にいる。もちろんその気持ちを理解してあげることはできるし、落ち度がこっちにある場合にはごめんねと一言声をかけてあげるべきかもしれない。

 

でも実際にナンパってそこまで迷惑なものだろうか?なにも考えずになんとなくそう思ってるだけじゃにないだろうか?街を徘徊する怪しい客引きやキャッチセールス、押し付けるようにティッシュを押し付けるビラ配りのフリーター女なんかに比べれば全く善良な部類に入るんじゃないだろうか?

 

こいつらは全て金目当てであり全ては自分の利益のためだ。だがナンパの場合は違う。相手との関わりを楽しむことであり人と人との交流が目的だ、金目当てではない。しかもそこには相手を楽しませてあげようというサービス精神がある。もちろん自分のためでもあるが、半分は相手のためになる。なぜなら交流は相互に楽しむものだからだ。

 

断る立場からの一方的な主張を除けば、ナンパは双方が互いに交流を楽しむものなのだ。しかも大抵の場合喫茶店代からホテル代まで男の方が多く出す(こういう不公平には文句は出ない)。笑わせて機嫌を取るのももちろん男側だ。費用を出してもらえて、おもてなしをしてもらえて、男女の出会いまで提供してもらえるのだ。

 

想像力が貧困な一部の女性のために解説しておくが、これは男にとって夢のような世界だ。女が向こうから声をかけてきて「あなたは魅力的なのでぜひ楽しい時間でもご一緒しませんか?」と誘われ、同中常に気を使われ話題を提供され機嫌をとってもらい、しかもかかる費用は負担してもらえるのだから。

 

男からするとむしろこれの何が迷惑なのだ?と疑問しか湧いてこない。どう考えてもいたれりつくせりのいいことづくめではないか。

 

だが女にはナンパは迷惑と映る。なぜか?それは結局女が甘やかされすぎて「ありがたいもの」ではなく「あたりまえのもの」と感じているからだ。向こうから声をかけてきてアレコレしてくれるのが「あたりまえ」だから自分からは何もしないくせに文句だけいう立場(会社にも教室にもこういう人いるよね)に惚けてしまっているのだ。

 

だから「ありがたいもの」と感じる人はちゃんと反応する。例えばそれほど声をかけられないタイプの女の人はそれなりに反応するし、もちろんもし男が女から声をかけられたらいい話しすぎて疑ってしまうだろう。

 

繁華街でナンパを断る女を見るたびに子供の頃近所で飼われていた犬を思い出す。飼い主がしつけを失敗したせいで普通のドッグフードは食べたがらないしよく吠えるし言うことは聞かない。甘やかされて完全にダメ犬になっていた。

 

どうすればよかったのだろう?一度餌を完全に取り上げて目が覚めるまで無視でもすればよかったのだろうか?そうすればきっと餌のおいしさもわかるようになるし、おとなしく言うことも聞けるようになるだろう。

 

だがダメ犬に勝手に餌を与えるものがいくらでもいて、そういう振る舞いに味を占めてしつけのしようがなくなっていたらどうすべきだろうか?

 

どうしようもないダメ犬と割り切って接するしかないのかもしれない。

狩野英孝は騙された被害者なのに加害者の女子高生が謝罪に出てこないという違和感

狩野英孝が17歳の女子高生との淫行疑惑が話題になっている。18歳の女子高生ではなく18歳未満の女子高生に手を出したなら青少年健全育成条例的にはアウトなわけだが、今回の件は少し事情が違う。

 

話によるとこの女は当初「自分は22歳である」と自己紹介していた。それが事実だとすれば狩野英孝はなんら落ち度はなく、一方的に被害者と言っていい立場だ。ちょっと化粧をすれば10代後半〜20代くらいの女なんて見分けはつかない。ましてや本人が22歳と偽っていればそれを騙されてもしかたないだろう。

 

それでも出会った男女は「身分証を提示し年齢確認を行うのが常識だよ!」と異を唱えるやつがいるなら相手を連れてきて再現してほしい。

 

今回の件は狩野英孝側に割と同情的な雰囲気もあるので板尾やそのまんま東のように割とすぐ復帰するパターンだと思う。問題はなぜ一方的に善意でなんら過失がない狩野英孝にも落ち度があるというムードが漂っているのかだ。

 

狩野英孝側にも落ち度があるような口ぶりが多いが、そもそもその落ち度というものが見当たらないのだ。ファンに手を出したという点はただの出会いの形の一種に過ぎず、そもそも年齢詐称とは無関係だ。もし事件だとするなら被害者がいるはずだが、間違いなく女子高生は被害者ではない。むしろ狩野英孝こそ被害者であり女子高生こそ加害者だ。

 

だがメディアによっては女子高生を「被害者側」というわけのわからない表現をしているものすらある。積極的に詐称する意図を持って嘘をつき騙したものを被害者とは片腹痛い。この馬鹿女こそ社会的制裁を受けるべきだ。

 

狩野英孝は女子高生の親のもとに謝罪にいったらしい。親も「うちの娘が迷惑をかけて申し訳ない」と互いに謝罪する形になったらしいが、そもそもなんで親が謝罪に行かずに狩野英孝が頭を下げに出向かなければならない?しかも女子高生は「何があっても狩野さんのことは応援します」と抜かしたそうだ。なんだこいつ?神経逆なでするプロか?

 

親子揃ってどこかズレている。もし自分が親なら我が子が迷惑をかけておいて被害者に出向かせるなどという失礼な真似はしないだろう。

 

今回の件が騒ぎになったせいでいったいどれほどに期間謹慎することになるのだろう?何本の番組を降り、CMを失い、掴みかけていたチャンスを棒に降る羽目になったのだろう?

 

狩野英孝に与えた損害を女子高生と親は何をしてでも埋め合わせするべきだ。女子高生は学校をやめて浮いた学費を支払い18歳になったら体を売るなりAVに出るなりして払うべきだし、親は家を売るなり車を売るなりして金を支払うべきだ。もしそれをせずにのうのうと今まで通りの暮らしを続けるなら神経を疑わざる負えない。

 

一般的に18歳以上の男性と女子高生が問題になったら女子高生が被害者であるという構図に当てはめてしまう風潮がある。実際に悪いのが誰か?で判断されるのではなく「構図の力」が正しくない場合にでも働いてしまうことがある。

 

今回の一件もそういった「構図の力」が働いているパターンだ。口にしづらい正論より口にしやすい暴論の方が強い。

 

狩野英孝が一日も早く戻ってくる事を期待したい。

女叩きという言葉で都合の悪い指摘から目を逸らす人間が幼稚な理由

もっともな批判や指摘を誹謗中傷や理不尽な攻撃として受け止めている限りいつまでも問題は解決されない。叩かれる原因を見るのではなく叩く側の意識や態度の問題にすり替える限り同じ過ちや間違った考え方を持ち続けるだけだ。それはただの逃げであり成長のチャンスを棒にふる事にしかならない。

 

女叩きという言葉の問題はそうした点にある。

 

もし内容が間違っているのであれば内容の間違いを批判すればいい。女叩きなどという言葉を使うまでもなく、そもそも指摘の内容自体が間違っている事を示せばそれで済む話だ。そしてもし内容が正しいならそれは女叩きではなく指導であり女性教育である。素直に受け入れ自分を振り返ればいい。

 

だが女叩きという言葉を使ってそのばしのぎ的に批判をかわそうとする者が一定数いる。ではなぜ「女叩き」という言葉が必要なのか?答えは簡単で相手に対して間違っていると言い切れないからだ、反論も反証もできないからだ。

 

男ならもし批判されても批判には批判で答えればいい、矛盾を指摘しお前こそ間違っていると叩き返せばいいと考える。それが言論であり表現というものだ。

 

だが女叩きという言葉を使う人はそれをしない。まるで手紙が入っている封筒ごと破り捨てるように、女叩きの内容自体と向き合うこともせず女叩きであると外側から攻撃するのだ。そこには言葉も意見もない、ただ嫌なものだから受け入れないという幼稚さだけがある。

 

女叩きという言葉で批判から逃げる女は自らの手で女叩きは正しいと証明しているのだ。

30歳以上なのに自分がおばさんだという事実を受け入れられない女達

何歳からがおばさんなのか?この答えは人によって様々だが、一般的な価値観からすると「30歳以上がおばさん」という定義で正しいだろう。

 

30歳を過ぎた頃から体力が衰え始め、いくら本人が女子を名乗ろうとも加齢臭が耳の裏から漂い始める事実は消せない。一般的な中年の入り口は何歳からか?という問の答えも30歳と答えるのが普通なので、中年の女=おばさんなのだから中年基準で判断しても30歳の女はおばさんだ。

 

もっとも人によっては厳しいおばさんの基準やゆるやかなおばさんの基準を持っている人もいる。厳しい基準であれば25歳以上から、ゆるやかな基準なら35歳以上からとなるだろう。もちろんゆるやかな基準を用いたがるのはアラサーの女が多い。(27・28歳の女はアラサーであることすら拒絶する者がいる)

 

男性は自分のことを「ああ、おっさんだなあ」と素直に受け入れるのに対し、女はなぜあんなにも必死におばさんであることを拒絶するのだろうか?30歳までの美人ボーナスが誰にでもあるわけではないのに。

 

そして何より不思議なのは、自分がおばさんであることは認めようとしないにも関わらず、当事者たちは自分が若い頃は30歳はおばさんどころか25歳以上はおばさんなどと平気で厳しい基準を作っていくところだ。おばさんの基準年齢を低くしておくほど後に自分のクビを締めるというのに、低くして堂々と受け入れるでもなく高く基準を設けて遠ざけるのでもなく、低く設けてそれを自分たちで拒絶するのだ。理性的判断の苦手な女性ホルモン優位の女脳と関係があるのだろうか?

 

女子高生くらいの子たちは大学卒業した女はおばさんというような会話をしているのを聞いたことがある。「女は19歳まで、20過ぎたらババアだから今のうちにおしゃれしたい」というような話も耳にする。

 

なぜ女は数年後に自分で設けたおばさん基準の年齢を撤回しようとするのだろうか?たとえ嫌でも現実から逃げずに加齢臭と向き合い三十路、アラサー、中年という現実を受け入れておばさんとして生きていけば良いではないか。

 

おばさんはもちろん若い女の子と比べれば性的価値は低くなるが、そんなもの20代後半くらいから既に低下は始まっている。肌の曲がり角は価値の曲がり角だ、違うのなら必死にシワ消しクリームなり塗りたくるはずがない。本人たちが一番最初に気づいている事のはずだ。

 

もしかするとだが、彼女たちは自分で自分をおばさんと認めさえしなければ女性としての魅力が低くならないとでも思っているのかも知れない。女の子なら笑顔を振りまいて優しくしてもらえるが、おばさんが笑ってもただの愛想のいいおばさんだ。しかし自分を女の子だと思って笑顔を振りまいているおばさんの方がよっぽど恥ずかしいではないか。女の子のふりをおばさんがしても笑った後のほうれい線の跡はすぐには消えない。

 

おばさんになったなら中年としての大人らしい魅力を振りまけばいいのに、女の子であり続けようとする姿がはっきり言って気持ち悪い。

 

笑うなと言っているのではない、魅力に頼るなと言っているのでもない、おばさんであることを自覚しろと言っているのだ。

 

年齢相応の自己認識を持っていれば立ち振舞はそこまでおかしくならない。自覚さえ持っていれば若々しく可愛らしく振る舞おうとした時も年齢的に許される範囲内での振る舞いに自然となるので「30過ぎたおばさんなのになにこいつ?」と不快な思いをさせずに済むし恥もかかずに済むのだ。

 

30歳以上の女に若さという価値は既に無い、そして魅力も既に下がっている、だが相応の態度でいればそれなりに扱ってもらえる。

 

身の程をわきまえる人はわきまえない人より魅力的だ、今おばさんになったあなたはまだおばさんになれていない女よりも頭ひとつ抜きん出たのだ。美人ボーナスの残りカスすら棒に振ってしまう前に早く相応の態度を身に付けよう。

 

体が30歳のおばさんなのに精神年齢だけ20代なんて恥ずかしすぎるし、自分で魅力的と考えていても評価は覆るわけでもない。現実から逃げるな、とアドバイスしたい。

非処女なのに結婚式で白無垢を着る馬鹿女に限って藤原紀香を叩くのはなぜか?

藤原紀香の結婚報道に対し、再婚にも関わらず結婚式で白無垢を着た事を指摘する声が多く上がった。白無垢は汚れていない事を象徴する装いであり、再婚時には白無垢以外を着るものだという考えがあるらしい。

 

なるほど、確かにそうだとすれば白無垢を着るのは間違っている。再婚で白無垢を着るのはおかしいかも知れない。だがこの意見はひとつ問題がある。それは汚れていないか?を再婚か否かを判断の基準にしている点だ。

 

白無垢は上でも説明したように汚れていない=純真・潔白=処女を示すものだ。つまり初婚であっても婚前性交経験者の女性、つまり非処女の女性は白無垢を着る権利がない。

 

だが実際はどうだろう?まるで「初婚ならわたしでも着てもいいよね?」というような文化や儀礼的装いを軽視して自分本位な考え方を持っている女が多いのではないだろうか。

 

実際藤原紀香をこの白無垢事件で叩いている女性の内、一体何%が処女のまま結婚式したのだろうか?一体何%の女性が処女のまま結婚するだろうか?

 

もちろん非処女の場合は白無垢を着る権利(道徳的な)が無いという事を理解して白無垢以外を着て結婚式を挙げる女性は問題ない、堂々と叩くといい。だがそうでないにも叩いていた女は一体なぜ自分の矛盾に気づかないのだろうか?おそらく女性にありがちな他罰傾向と自己批判能力の欠如を制御するだけの理性がないということなのだろう。

 

これは一部の目覚めた女性=男性同様に理性を身につけた女性であればこのような間違いは犯さないことからも読み取れる。白無垢を着る権利がない事を理解してい着ないか、逆に白無垢と着るために自分を律するかだ。

 

だが目覚めていない方の女はその理性の欠如故に、自分の権利の有無すら考えずに攻撃する。そして当たり前のような顔をして白無垢を結婚式着るのだ。中には妊娠中で白無垢を着るという意味不明な(本当に白無垢の意味を理解していないのだろう、頭にあるのはシロイ!カワイイ!キレイ!だけだ)行為に出る女もいるだろう。そんな人間にまともな子育てができるのだろうか?はなはだ疑問だ。

 

おそらく男は婚約者が白無垢を着ようとしても、笑って許すか肩を落として諦めるしか無いのだろう。相手と同レベルの場合は疑問をそもそも持たない可能性もあるが。なかには「婚約者が処女じゃないのに白無垢を着ると言い出して困っています」という相談を寄せる男性もいるかも知れない。だがどちみち結婚式は文化でも男性でもなく、女の都合を主体に行われるものだ、本人が違和感や恥を感じない以上どうしようもないのだろう。

 

再婚で白無垢はおかしいがそれ以上に非処女で白無垢もおかしい、なぜなら白無垢を着ても性交経験がなければ再婚でも着る権利が与えられるが、非処女の場合は例外なく白無垢を着る権利はないのだ。むしろ自分たちこそ間違っているという認識を持つべきだ。

 

世の中は広い。以前新宿の喫茶店で話の内容からして風俗嬢らしきふたり組が「ウエディングドレスは白がいい」と話していたのを目にした。風俗嬢なのに白無垢を着たがるとは・・・とあっけに取られた記憶がある。そんなに着たいならなんで風俗店で働いているのか?と疑問だったが、今考えてみればどちみちほとんどの場合は着る権利なんて無いのだから目くじらをたてる必要もなかったのかも知れない。

 

白無垢は既にただ「シロイ!カワイイ!キレイ!」なだけの服になっているのだから。