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ペコ&りゅうちぇるのネタ・キャラパクリ開き直り事件から考える中国文化

沖縄といえばかつては琉球と言われ、かつては中国と深い関係はあっただけあり食べ物や建築物などにも中国に近い文化が今なお根強く残っている。

 

さて沖縄と言えば芸能界に数多くのタレント・役者・モデルを排出していることで有名だが、その中でも今最もアツいのは誰か?といえば「りゅうちぇる」である。

 

ヘビーな原宿系女子をそのまま性転換させたようなルックスで、一度見ればその強いインパクトで目に焼きつきなかなk忘れることはない。あれだけのインパクトがあるのだから視聴者に覚えてもらうことが大切な芸能界で一気に露出が増えたことも不思議ではない。

 

さてこのりゅうちぇるだが、彼の攻撃的な態度がヤフーのトピックで取り上げられていた。それはある番組中の出来事だ、ペコ&りゅうちぇるのネタがあるモデルのネタととても類似しており、先にそのネタをしていたモデルに指摘された。それに対しりゅうちぇるは「パクリではない」と主張しつつ「文句をつけるのは自分が売れなくなる事を恐れているため」と逆に相手を攻撃し始めたのだ。

 

はっきりいってペコ&りゅうちぇるのネタはそのモデルのものと類似しており、キャラクターも疑いをかけられてもおかしくない程度に類似している。テレビなどでの活動時期もそのモデルのほうが早い。完璧な言い逃れをすることは難しいだろう。それくらい似ているのだ。

 

仮に偶然似てしまったとしても、もし普通の人がりゅうちぇると同じ立場なら「後から似たような方法で売れましたがよろしゅう頼みます」という態度を取りそうなものだ。だが彼らは違う、パクったという事を否定するのみならず相手を貶めてその場をしのごうとする。

 

私はこのトピックを見てあることを思い出した。中国のコピー製品だ。

 

中国では世界の有名企業が築き上げた製品をパクリ、あるいはコンセプトやデザイン・機能を一部だけ変え「パクリではないオリジナルである」と主張する文化がある。これは中国では優秀な者とは無駄な努力をせず上手にパクる者だという思想があるからだ。

 

勝手に商標をとったりパクリ元の企業を罵ったりすることはもはやニュースでは見慣れた光景だ。

 

さてそんな中国だが、沖縄はかつて琉球だったころ中国の属国でもあった。すでに日本の一部となり人も文化も日本と溶け込んでいるが、一部にはまだ根強く手付かずの部分が残り続けている。中国が強くのこり続けている。

 

沖縄出身タレント全員がそうだとは思わないが、コンテンツはパクりやすい。単純なネタであれば一部を変えれば再利用することは簡単だ、ヤる奴はヤるだろう。中国でコピー製品を作る者達と同じように。

 

今回のりゅうちぇるの一件で本当にパクリだったのかどうかはわからないが、もしパクリであっても認めることはおそらく無いだろう。

 

だがもしパクっていたのだとしたら、深く沖縄に残る中国のパクリ・逆ギレという文化的DNAは何世代たてば浄化されるのだろうか?それとも消え失せることはなく逆にこれも立派な文化であり文化への差別だ!と言い張るのだろうか?

 

沖縄では成人式で暴れる未熟な成人達が毎年のように現れるが、りゅうちぇるも21歳、1つ年上だ。成人式での振る舞いがどうだったかは知らないが、暴力は態度や言葉の中にも潜む。もし先に似たようなキャラ・ネタの人がいたのならもしパクリでないならそれこそ「あなたがこのキャラクターで売るという道を開いてくださいました」「あなたが切り開いてくれたこの道です」とある程度の敬意を払うのが成人として日本人としての持つべき礼儀(reigi)だ。

 

私は彼らのことが好きでも嫌いでもないし、差別感情も一切持っていない。だができればもう少し成長した姿を見せてくれたらと思う。

先にフッたほうが勝ち、嫌悪感を示す方が勝ちという女独特の思考について

彼女達には対人関係において個人個人の上下を決める謎のルールがある。そのルールとは先に相手を拒絶したほうが勝ちというものだ。例えば恋愛であれば振られる前に振ったほうが勝ち、そこまででも無い関係でも嫌悪感を示したほうが勝ち、さらには先に恋愛対象外宣言をしたほうが勝ちという謎のマウンティングポリシーがある。

 

先に相手を拒絶したものは相手より価値ある存在であり、拒絶された方は相手にされない価値の劣る存在とみなされる。

 

女達は一部を覗いてこの西部劇のような世界に生きている。彼女たちはガンマンだ、拒絶の意思を先に発したものだけが生き残る。

 

…男性諸君なら女性の感情的な側面や幼稚な反応にうんざりして叱り飛ばしたくなったことがあると思う。だが男性諸君は優しいので男女差別には反対なはずだ。平等に扱ってあげようという、しっかり価値を認めてあげよう、見下さずにあげようという優しさを持っているはずだ。

 

たとえ知能の男女差を認めない結論有りきのジェンダー論や女性学によって女性が保護されていることに気づいていても気づかないふりをしている。

 

その前提にはたとえ男女差があろうとも「話せばわかる」「対話が困難なほどの優劣の差は無い」「コミュニケーションや教育で女性も成長できる」という”乗り越えられる程度の差”という認識がある。

 

だが、実際には想像以上に男女の差は開いているとしたら?体力のみならず知能や精神的成長度でも到底埋めがたい隙間があるとしたら?

 

…話を戻す。初めて女性特有の先に拒絶したほうが勝ちという謎ルールに気づいた時には「え?嘘だろ?」「こんなアホな考えいい歳して持ってる奴いるの?」「いくら何でもこんな考えの女はこいつだけだろ?」と信じられなかった。だが実際には違う、ありとあらゆるところでこのような価値観は見られる。

 

ネットでも電車内でも喫茶店でも、時には愚痴として第三者に、時には直接相手自身に「フラれたら悔しいから先にフッた」「今はもう興味ないから」「絶対無理〜」などとあえて言って見せているように、これは一部の女が特別なのではないのだ。

 

基本的に現代の男は平等の精神を大切にしているので女性を見下さず対等に扱って来たが、それは能力的にもおおよそ対等であるという前提があるからだ。だがこのような幼稚な考えをするものが大多数だとしたらどうすれば良いのだろうか?女性を啓蒙し本当の平等を実現する事は可能なのだろうか?

 

もしこれが教育で挽回可能な程度の差なのであれば希望を捨てる必要はない、だがもし脳のスペックで決まっている決定的な差だとしたらどうすればよいのだろうか。一部の優秀な女性だけ対等に扱えばよいのだろうか?いや、そもそも優秀な女性がいたとしても外見的な学歴・職歴・経歴だけで内面的な部分が伴っているとどう判断できるのだろうか?優秀な者が集まっているはずの会社の中でも早打ち拒絶マウンティング合戦は行われることすらあるのだ。

 

きっと彼女たち自身が自身の力で追いつき追い越そうと努力し、特有の浅はかさを捨て去る時が来るまで辛抱強く耐えるしかないのだろう。良い方法は何も思い浮かばない、結論有りきのジェンダー論で形だけ整えても中身まではついてこなかった。今、男にはある種の割り切った考えを持つ必要に迫られているのかも知れない。

ほとんどの専業主婦は職業ではなくただの無職だと断言できるシンプルな一つの理由

飲食店店員も清掃業者もクリーニング屋も、サービスを生業とするものなら接客態度というものを常に意識する。

 

プロは客の前で嫌そうな顔はしないし丁寧な態度を心がける。面倒くさいからと手を抜いて品質を落としたりしない。客に自分の不平不満をぶつけるなどありえない

 

もし客の前で自分の感情一つコントロールできず、丁寧に対応できないのならサービス業は向いていない、さっさと転職するべきだ。

 

さて、では本題に入るが専業主婦は職業と言えるだろうか?人によって答えは異なるが、もし仮に専業主婦が職業であるとするなら、専業主婦はサービス業だろうか?もちろん専業主婦は第一次産業にも第二次産業にも該当しない、第三次産業の中でもサービス業に該当すると考えるのが適切だろう。

 

もちろん中にはプロ意識の高い専業主婦はいるだろう。またパートをしているものは職業パートであって専業主婦ではない。

 

残るパートもせずサービス業であるにも関わらずプロとして当然の態度をとることのできない大部分の自称専業主婦たちは、事実上(意識上は違うだろうが)ただの無職の家事手伝いだ。

 

彼女たちが嫁という立場を利用して単に家事をして家に置いてもらってぷらぷらしているだけの無職のおばさんだという自覚を持つ日は来るのだろうか?

 

 

「君の名は」と「聲の形」が大ヒットした本当の理由は”太もも”

それは「ミニスカ美少女の太もも」です。君の名はではCMで繰り返しきわどいアングルでミニスカートの女子高生がなまめかしく太ももを組み替えるシーンが流されます。これは売れる要素ですね。

 

また聲の形のポスターも同様です。男ならチェック柄のミニスカ美少女の太ももについつい目線が集まります。

 

この2つは計算して行われたものです。原作がどうだか知りませんが(原作自体がそれを狙っているとしても)、女のコが別にミニスカートにする必要もないし美少女にする必要もないし、そもそもむちむち系の太ももにして男の官能を刺激する必要は無いはずです。

 

ちょっと脱線しますが、例えばめちゃくちゃ禁欲的な人がいるとします。自分に性欲があるということすら罪の意識を持つレベルの人で、エロいものをエロいと認識することすら自己嫌悪します。そんな人にさり気なく艶かしいシーンのある反戦ドラマをみせたとしましょう。

 

普通の人ならさり気なく挿入されるそのシーンを「あっ、エロシーンだな」とそこから得られた興奮はエロシーンのせいだということを自覚できます。しかし先ほど上げた禁欲的な人の場合はどうなるでしょう?人間なので自然と興奮はしますが、その興奮をどう処理するでしょう?禁欲的であるほど抑圧が起こり無自覚になります。そして興奮の発生源に無自覚な場合、人はわかりやすいメッセージに飛びつきます。反戦ドラマの場合はストーリーなり反戦メッセージなりに「心打たれたのだ!」と思い込むはずです。

 

ここで再び「君の名は」「聲の形」のミニスカ美少女太もも事案について見てみましょう。なぜ美少女なのでしょう?なぜミニスカートなのでしょう?なぜ太ももを強調するのでしょう?答えは明白ですね、さり気なく性的興奮を煽ってそれを作品の評価に結びつけるためです。ミニスカ美少女の太ももは売れる要素の一つなのです。

 

美少女好きという自覚のあるアニオタであれば騙されません、太ももサイコーと自分を抑圧しないので素直に受け止めます。ですがオタはダサいと考える人や萌に振り回されない硬派なアニオタを気取っている人はどうなるでしょう?作品をべた褒めするに決まってます。

 

「美少女の太ももに興奮しちゃってさぁ」なんて口が避けても言えませんし、自分で自覚することすら拒絶するため、無意識的に作品自体へとエロから得た興奮を帰属させます。

 

ではどういう人がこれに引っかかるのか?簡単なテストが有ります。それは椎名林檎群青日和のPVを見る事です。これに妙にグッときて椎名林檎がかわいい(正しいですが)以外の感想が出てこない人は「君の名は」と「聲の形」を無自覚にべた褒めするタイプの人です。

 

こういうやり方に興味がある方はウィルソンブライアンキイの「メディア・セックス」を呼んでみてください。ちょっと誇張表現は有りますがこういうタイプの売れる要素の仕組みを実にわかりやすく解説しています。この2作品がミニスカートでなければいけない理由やなぜ「君の名は」が夢の中で男と女が入れ替わるのが売れる要素なのかについてもよくわかるはずです。

 

自覚のないオタ、自覚したくないオタ、そして自称真面目のすけべ野郎どもを相手に売れるヒットアニメを作る法則を学びたければ、この2作品の”太もも手法”を参考しするとよいでしょう。

女はいいな、たいした実力がなくてもスポーツ選手になれて・・・

ある程度真面目にやってる競技者全体の平均的なスペックさえあれば女はトップアスリートの仲間に入れるじゃん?

 

男は無理、競技者のトップにならなきゃだめ。でも女なら競技者の平均的な実力程度でスポーツ選手としてゴハンが食べられる。金も名声も手に入る、うらやましい。

 

ブスでない限り女は得だ、能力の低さにみあった低い待遇を与えられることを”免除”されているし、能力の割に高い待遇を与えられる”特権”も手にしている。

 

「男なら力が強くて足が早くて当たり前、女は頑張ってる!」だって?女より体格に劣る男もいるし病弱な男だっている。性別は理由にならない。

 

結局はより強い筋肉を、より強い内蔵を、より大きな骨格を持つものがスポーツでは圧倒的に有利だ。

 

だが俺は背が低いから背が高いのはズルい!俺は筋肉がつきにくいから筋肉質なのはズルい!体力がないから体力がある奴はズルい!という理由で勝負する土台をいちいち変える意味はあるだろうか?

 

同じ土台で戦うからこそ競争なのであり、そこで打ち勝つからこそ勝利に価値があるのだ。

 

骨格や体力を理由に土台を変えれば変えるほどそれは競争から離れていき、勝利の価値は薄まっていく。極論をすれば「ジブンと全く同じ条件でこの成績を出す人間はいないからジブンが優勝」というオンリーワンの世界に閉じ守ることになるだろう。それは競技ではない。

 

現在スポーツは男女別で行われるのが主流だ。男女間の基礎的な体力の差が理由に上げられるが、それは体力に恵まれた女性が不当に有利になり体力に恵まれない男性だけ不当に不利ではないだろうか?

 

もしそのような体力の差を理由に分けるのなら競技とは無関係な”男女別”ではなく”体力別”のリーグ分けをすべきではないだろうか?体力差は男と女の間にあるのではなくあらゆる個人の間に存在するのだ。女という特徴を持つものだけ体力差を”免除”されるのは不当な差別と言える。

 

女性であるというだけで低い能力で活躍できてしまう現状は女性へのただの甘やかしであり間違った自己肯定感を与え不釣り合いな自尊心を増長させることにつながってしまう。男性であるというだけで生まれ持った体力の低さへの優遇措置を与えられないという差別がスポーツ界では蔓延しているのだ。

 

囲碁や将棋などのように体力の差という建前すらなく実力がなくとも女であるだけでプレイヤーとして生計をたてられる差別的構造がある世界すら存在する。

 

「女は甘えるな、男は甘やかすな」とスポーツを含むあらゆる競技に物申したい。

腐女子が自分でも気づいていないBLに惹かれる理由=女の半数が無自覚に抱える同性愛・バイセクシャル傾向

例えばですが、男性諸君は仲のいい男友達と手をつないで歩きますか?男性アイドルのうちわを買って握手会に行きますか?

 

ええそのとおり、普通はしません。もしそんな事をしている男がいたらホモかバイセクシャルかどちらかでしょう。ですが、これらを当たり前のようにする人たちがいます。女です。

 

女は女同士で手をつないで歩いたり、女のコのアイドルをうちわをかってキャーキャー言いながら握手会に赴いたりします。

 

あまり知られていませんが女は半数が潜在的にレズです。レズと言っても完全に同性愛というわけではなく、これは男もいけるけど女のコもいけちゃうわよ、という意味です。女同士で手をつないだり同性のアイドルのところに行くのも潜在的にレズだからです。

 

こうした潜在的レズを集客する構造のあるビジネスにはかつては「宝塚」がありました。女が仮装し男役になり、女だけで演じられる演劇団というイメージが強いですが、その本質は無自覚な女の同性愛傾向を利用したセクシャリティに依存したビジネスなのです。

 

演劇の部分だけ見れば確かにそんなことはない、と思うかも知れません。ですが宝塚には入学直後のルーキーの頃から熱狂的な経済力のあるおばさん世代の隠れレズの人たちに気に入られ応援され名を上げていく、というシステムが有ります。

 

一流のタカラジェンヌになるとそのファン同好会でまるで王子様のような扱いを受けます。ファンみんなで宝塚の演劇風にタカラジェンヌへの愛を語る手紙の朗読もされます。

 

私にはまるで白馬の王子様にむらがる大奥の女中たちのようでした。

 

タカラジェンヌを中心としたいびつなレズビアンハーレムの世界がそこにはあるのです。

 

このように女が男役、女役になる宝塚の世界観に無自覚なレズの人たちが魅力を感じてファンとなることはおかしくありません。宝塚自身が意図的であるかどうかはわかりませんが、そういう側面を否定し切ることはできないでしょう。

 

しかし構造を利用しているビジネスの現在のメインストリームは宝塚ではありません、腐女子に代表されるBL関連ビジネスです。

 

なぜ隠れレズは腐女子になるのか?

一見するとレズとBLは無関係に思えるかも知れません。ですがここで宝塚を思い出してください。宝塚は役者は女が演じていますが、与えられている役は男と女ですね?つまり表面上は異性愛でありながら実質的には同性愛なのです。

 

私はかつてから疑問だったのですが、BL系のキャラクターは造形レベルでは「女の見た目」の男キャラが多いように感じられます。なぜ男ではなくあえて女の顔にしているのかがわかりませんでしたが、前述した宝塚を考えれば理解できます。

 

つまりBLはこのように表面上「男」という設定にすることで、女同士の恋愛を楽しむ事を可能にしているのです。自覚がない潜在的なレズであればあるほど抑圧されるため「友情」や「女キャラとくっつかないので安心」という建前を強く主張(受け入れやすい理由を見つけるという帰属理論の典型例)します。

 

腐女子ビジネスはクリエーター側すら気づいていませんが、実は生産者も消費者も隠れレズたちで構成されている独特の世界なのです。男のケモナー、女のBLなのです。

 

女の乙女ロードは男で言う新宿2丁目なのです。現に池袋ではカバンにアニメキャラのバッジをつけた女が女同士でベタベタ腕や肩をボディタッチしあいながら歩いている光景は珍しくありません。

 

多様性を認める社会の一員として温かい目で見守ってあげましょう。

「昔は〜だった」とかドヤ顔で語るバカどもに言いたい事

1:今は昔ではない

「昔は〜だった」なら好きなだけ昔に戻るなりすればいい。今は昔が許されるのは昔話の中だけだ。今という時代にすらついてこれない奴には何もまかせられないから置いて行かれる覚悟をしろ。

 

2:お前の言う「昔」はお前に都合のいい「昔」を主張しているだけだ

お前の言う「昔」はその100年先でもないし10年前でもない、お前が一番居心地の良い都合の良かった時代を「昔」と呼んでいるだけだ。

 

そんなに昔が好きなら原始時代の方法で解決してやってもいいんだぞ老害共が。親しんだ価値観が主流だったころ懐かしんでるだけってことぐらい気づきやがれ、それこそてめえらも「昔」は同じこと感じたはずだろうが!

 

不満がある奴は今すぐ一歩前に出ろ、足を肩幅に開いて歯を食いしばれ!気合を入れてやる!

 

お前らの大好きな「昔」だぞ?喜べよ。