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「君の名は」と「聲の形」が大ヒットした本当の理由は”太もも”

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それは「ミニスカ美少女の太もも」です。君の名はではCMで繰り返しきわどいアングルでミニスカートの女子高生がなまめかしく太ももを組み替えるシーンが流されます。これは売れる要素ですね。

 

また聲の形のポスターも同様です。男ならチェック柄のミニスカ美少女の太ももについつい目線が集まります。

 

この2つは計算して行われたものです。原作がどうだか知りませんが(原作自体がそれを狙っているとしても)、女のコが別にミニスカートにする必要もないし美少女にする必要もないし、そもそもむちむち系の太ももにして男の官能を刺激する必要は無いはずです。

 

ちょっと脱線しますが、例えばめちゃくちゃ禁欲的な人がいるとします。自分に性欲があるということすら罪の意識を持つレベルの人で、エロいものをエロいと認識することすら自己嫌悪します。そんな人にさり気なく艶かしいシーンのある反戦ドラマをみせたとしましょう。

 

普通の人ならさり気なく挿入されるそのシーンを「あっ、エロシーンだな」とそこから得られた興奮はエロシーンのせいだということを自覚できます。しかし先ほど上げた禁欲的な人の場合はどうなるでしょう?人間なので自然と興奮はしますが、その興奮をどう処理するでしょう?禁欲的であるほど抑圧が起こり無自覚になります。そして興奮の発生源に無自覚な場合、人はわかりやすいメッセージに飛びつきます。反戦ドラマの場合はストーリーなり反戦メッセージなりに「心打たれたのだ!」と思い込むはずです。

 

ここで再び「君の名は」「聲の形」のミニスカ美少女太もも事案について見てみましょう。なぜ美少女なのでしょう?なぜミニスカートなのでしょう?なぜ太ももを強調するのでしょう?答えは明白ですね、さり気なく性的興奮を煽ってそれを作品の評価に結びつけるためです。ミニスカ美少女の太ももは売れる要素の一つなのです。

 

美少女好きという自覚のあるアニオタであれば騙されません、太ももサイコーと自分を抑圧しないので素直に受け止めます。ですがオタはダサいと考える人や萌に振り回されない硬派なアニオタを気取っている人はどうなるでしょう?作品をべた褒めするに決まってます。

 

「美少女の太ももに興奮しちゃってさぁ」なんて口が避けても言えませんし、自分で自覚することすら拒絶するため、無意識的に作品自体へとエロから得た興奮を帰属させます。

 

ではどういう人がこれに引っかかるのか?簡単なテストが有ります。それは椎名林檎群青日和のPVを見る事です。これに妙にグッときて椎名林檎がかわいい(正しいですが)以外の感想が出てこない人は「君の名は」と「聲の形」を無自覚にべた褒めするタイプの人です。

 

こういうやり方に興味がある方はウィルソンブライアンキイの「メディア・セックス」を呼んでみてください。ちょっと誇張表現は有りますがこういうタイプの売れる要素の仕組みを実にわかりやすく解説しています。この2作品がミニスカートでなければいけない理由やなぜ「君の名は」が夢の中で男と女が入れ替わるのが売れる要素なのかについてもよくわかるはずです。

 

自覚のないオタ、自覚したくないオタ、そして自称真面目のすけべ野郎どもを相手に売れるヒットアニメを作る法則を学びたければ、この2作品の”太もも手法”を参考しするとよいでしょう。

女はいいな、たいした実力がなくてもスポーツ選手になれて・・・

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ある程度真面目にやってる競技者全体の平均的なスペックさえあれば女はトップアスリートの仲間に入れるじゃん?

 

男は無理、競技者のトップにならなきゃだめ。でも女なら競技者の平均的な実力程度でスポーツ選手としてゴハンが食べられる。金も名声も手に入る、うらやましい。

 

ブスでない限り女は得だ、能力の低さにみあった低い待遇を与えられることを”免除”されているし、能力の割に高い待遇を与えられる”特権”も手にしている。

 

「男なら力が強くて足が早くて当たり前、女は頑張ってる!」だって?女より体格に劣る男もいるし病弱な男だっている。性別は理由にならない。

 

結局はより強い筋肉を、より強い内蔵を、より大きな骨格を持つものがスポーツでは圧倒的に有利だ。

 

だが俺は背が低いから背が高いのはズルい!俺は筋肉がつきにくいから筋肉質なのはズルい!体力がないから体力がある奴はズルい!という理由で勝負する土台をいちいち変える意味はあるだろうか?

 

同じ土台で戦うからこそ競争なのであり、そこで打ち勝つからこそ勝利に価値があるのだ。

 

骨格や体力を理由に土台を変えれば変えるほどそれは競争から離れていき、勝利の価値は薄まっていく。極論をすれば「ジブンと全く同じ条件でこの成績を出す人間はいないからジブンが優勝」というオンリーワンの世界に閉じ守ることになるだろう。それは競技ではない。

 

現在スポーツは男女別で行われるのが主流だ。男女間の基礎的な体力の差が理由に上げられるが、それは体力に恵まれた女性が不当に有利になり体力に恵まれない男性だけ不当に不利ではないだろうか?

 

もしそのような体力の差を理由に分けるのなら競技とは無関係な”男女別”ではなく”体力別”のリーグ分けをすべきではないだろうか?体力差は男と女の間にあるのではなくあらゆる個人の間に存在するのだ。女という特徴を持つものだけ体力差を”免除”されるのは不当な差別と言える。

 

女性であるというだけで低い能力で活躍できてしまう現状は女性へのただの甘やかしであり間違った自己肯定感を与え不釣り合いな自尊心を増長させることにつながってしまう。男性であるというだけで生まれ持った体力の低さへの優遇措置を与えられないという差別がスポーツ界では蔓延しているのだ。

 

囲碁や将棋などのように体力の差という建前すらなく実力がなくとも女であるだけでプレイヤーとして生計をたてられる差別的構造がある世界すら存在する。

 

「女は甘えるな、男は甘やかすな」とスポーツを含むあらゆる競技に物申したい。

腐女子が自分でも気づいていないBLに惹かれる理由=女の半数が無自覚に抱える同性愛・バイセクシャル傾向

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例えばですが、男性諸君は仲のいい男友達と手をつないで歩きますか?男性アイドルのうちわを買って握手会に行きますか?

 

ええそのとおり、普通はしません。もしそんな事をしている男がいたらホモかバイセクシャルかどちらかでしょう。ですが、これらを当たり前のようにする人たちがいます。女です。

 

女は女同士で手をつないで歩いたり、女のコのアイドルをうちわをかってキャーキャー言いながら握手会に赴いたりします。

 

あまり知られていませんが女は半数が潜在的にレズです。レズと言っても完全に同性愛というわけではなく、これは男もいけるけど女のコもいけちゃうわよ、という意味です。女同士で手をつないだり同性のアイドルのところに行くのも潜在的にレズだからです。

 

こうした潜在的レズを集客する構造のあるビジネスにはかつては「宝塚」がありました。女が仮装し男役になり、女だけで演じられる演劇団というイメージが強いですが、その本質は無自覚な女の同性愛傾向を利用したセクシャリティに依存したビジネスなのです。

 

演劇の部分だけ見れば確かにそんなことはない、と思うかも知れません。ですが宝塚には入学直後のルーキーの頃から熱狂的な経済力のあるおばさん世代の隠れレズの人たちに気に入られ応援され名を上げていく、というシステムが有ります。

 

一流のタカラジェンヌになるとそのファン同好会でまるで王子様のような扱いを受けます。ファンみんなで宝塚の演劇風にタカラジェンヌへの愛を語る手紙の朗読もされます。

 

私にはまるで白馬の王子様にむらがる大奥の女中たちのようでした。

 

タカラジェンヌを中心としたいびつなレズビアンハーレムの世界がそこにはあるのです。

 

このように女が男役、女役になる宝塚の世界観に無自覚なレズの人たちが魅力を感じてファンとなることはおかしくありません。宝塚自身が意図的であるかどうかはわかりませんが、そういう側面を否定し切ることはできないでしょう。

 

しかし構造を利用しているビジネスの現在のメインストリームは宝塚ではありません、腐女子に代表されるBL関連ビジネスです。

 

なぜ隠れレズは腐女子になるのか?

一見するとレズとBLは無関係に思えるかも知れません。ですがここで宝塚を思い出してください。宝塚は役者は女が演じていますが、与えられている役は男と女ですね?つまり表面上は異性愛でありながら実質的には同性愛なのです。

 

私はかつてから疑問だったのですが、BL系のキャラクターは造形レベルでは「女の見た目」の男キャラが多いように感じられます。なぜ男ではなくあえて女の顔にしているのかがわかりませんでしたが、前述した宝塚を考えれば理解できます。

 

つまりBLはこのように表面上「男」という設定にすることで、女同士の恋愛を楽しむ事を可能にしているのです。自覚がない潜在的なレズであればあるほど抑圧されるため「友情」や「女キャラとくっつかないので安心」という建前を強く主張(受け入れやすい理由を見つけるという帰属理論の典型例)します。

 

腐女子ビジネスはクリエーター側すら気づいていませんが、実は生産者も消費者も隠れレズたちで構成されている独特の世界なのです。男のケモナー、女のBLなのです。

 

女の乙女ロードは男で言う新宿2丁目なのです。現に池袋ではカバンにアニメキャラのバッジをつけた女が女同士でベタベタ腕や肩をボディタッチしあいながら歩いている光景は珍しくありません。

 

多様性を認める社会の一員として温かい目で見守ってあげましょう。

「昔は〜だった」とかドヤ顔で語るバカどもに言いたい事

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1:今は昔ではない

「昔は〜だった」なら好きなだけ昔に戻るなりすればいい。今は昔が許されるのは昔話の中だけだ。今という時代にすらついてこれない奴には何もまかせられないから置いて行かれる覚悟をしろ。

 

2:お前の言う「昔」はお前に都合のいい「昔」を主張しているだけだ

お前の言う「昔」はその100年先でもないし10年前でもない、お前が一番居心地の良い都合の良かった時代を「昔」と呼んでいるだけだ。

 

そんなに昔が好きなら原始時代の方法で解決してやってもいいんだぞ老害共が。親しんだ価値観が主流だったころ懐かしんでるだけってことぐらい気づきやがれ、それこそてめえらも「昔」は同じこと感じたはずだろうが!

 

不満がある奴は今すぐ一歩前に出ろ、足を肩幅に開いて歯を食いしばれ!気合を入れてやる!

 

お前らの大好きな「昔」だぞ?喜べよ。

クリボックスという底辺非モテの過ごし方をご存知か?

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クリぼっちという言葉がある。クリスマスを一人寂しく過ごす人間を指す言葉だ。クリぼっちはただ恋人がいないという性的孤立だけではなく、一緒に過ごす友人や仲間すらいないという社会的孤立も意味している。

 

さてそんなクリぼっちだが、ぼっちはぼっちなりにエンジョイする過ごし方と言うものがある。平均的な非モテぼっちの場合、ちゃぶ台の上に用意された安いショートケーキにスーパーで値引きされたチキンを適当な酒で流し込みながら明石家サンタをみつつネットサーフィンをする、というのが一般的だ。

 

だがよりアグレッシブな非モテぼっちの場合、聖夜の街に繰り出す。街に繰り出してどこへ行くのか?行き先はもちろん決まっている、風俗店だ。

 

メイド喫茶などのライトな風俗からソープランドのような風俗まで、風俗産業にとって独り身の男たちの孤独感が強まるクリスマスは格好のかきいれどきなのだ。聖夜にラブホテルが混むのはカップルのせいだけではない、派遣型風俗店なども原因の一つなのだ。もちろんこれだけの需要があるのだから需要と供給の関係で”クリスマス特別価格”が適用される場合があることも珍しくはない。

 

だがこれは一部の金のあるアグレッシブ非モテぼっちの場合だ。大多数の非モテはアグレッシブでもなければそこまで景気良く金も使わない。

 

だがごく一部の非モテ、家で過ごすのは嫌だが風俗店に行くほどのそこまでのアグレッシブさも金もない非モテたちはどうするのか?中途半端なアグレッシブさで聖夜の街に繰り出した彼らはどこへ行くのか?その答えこそ「クリボックス」なのだ。

クリボックスとは?

クリボックスとは「クリスマスに行く個室ビデオ店」のことである。個室ビデオ店がビデオボックスと呼ばれることに由来する。

 

個室ビデオ店について知らない人のために解説すると、個室ビデオ店とは好きなビデオを6本ほど選び、1時間から最大24時間までの滞在時間と個室のタイプ(座敷タイプからソファータイプまである)を選び、自由に過ごすことのできる店舗である。終電を逃した人や貧乏旅行者がホテル代わりに使う事も多い。基本的には個室・防音化でプライバシーの確保された漫画喫茶をイメージするとわかりやすい。ビデオのラインナップはアダルト物が多いが新作の映画や人気バラエティ番組などのノンアダルトもひと通り揃っている。

 

さてこの個室ビデオ店には当然のことだがあらゆるジャンルのアダルトビデオが準備されており、風俗店に行く金のない者が主に利用する。大画面のディスプレイでヘッドホン無しで大音量にして気兼ねなくAVを鑑賞できるため、安く”満足感”を得たい男に人気だ。

 

クリスマスだからどこかで何かしたい、でも風俗店へいく金もない。そんな人間が安く楽しく過ごすことができるのがクリスマスにいく個室ビデオ店=「クリボックス」なのだ。

 

チキンと酒を持ち込み(持ち込みは自由なところが多い)サンタコスプレモノを肴に1人で楽しむのである。ひと通り楽しんだらテレビで明石家サンタを見ることもできるし別のDVDを交換することもできる、PCがあるのでネットサーフィンも可能だ。お金をかけず人との接触を逃れつつ楽しく過ごすという意味では、個室ビデオ店は多少の気持ち悪さに目をつぶりさえすれば全てが揃う快適な空間なのだ。

 

家に閉じこもるのもつまらない、外へでる程度の元気はあるが激しくお金を浪費する気にもならないし、風俗店に行く気にもならない、そんな非モテ男にとってクリボックスは調度良い過ごし方なのである。

「専業主婦はニートと言う人の心理」という記事を喜んで読んじゃう人の「心理」

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おそらくあの記事を喜んで読む女は「専業主婦はニート」と言われてスルーできないほど図星な人間だ。そもそも”心理”という便利な言葉に頼ってろくに主婦をできていない自分ではなくその言葉を吐きかける相手にクローズアップしてその場しのぎの精神的安定を手に入れようとする未熟さと自分への甘さにイライラする。

 

「〜する人の心理」系全般に言えることだが、言葉の内容そのものと向き合うでもなく現実の自分を見直すのでもなく、発言者側の心の問題にすり替えて都合よく逃げる姿勢が気持ち悪いのだ。

 

さらに言えば「心理」の問題にすり替えるついでに「現実はそうではない」と遠回しに主張しているような気すらする。”そういう事を言う人”だからであって”自分がそういう人”だからではないという分析風逃避の心理がそこにはある。

 

戦わず向き合わず、一番楽な方法で安易に辛い言葉から逃げようとしているのだ。甘くて都合の良い言葉になら思慮せずに飛びつくところが実に専業主婦らしいB層っぷりだ。

 

「専業主婦はニートと言う人の心理」という記事を読む人の心理、それは安易な逃避と自分への甘やかしだった。

専業主婦を名乗るからにはプロフェッショナルになれよ、じゃなきゃてめぇはただのニートだ

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君の仕事で実現したい価値は何だね?お客様の満足度をどう把握し改善に生かしているのかね?業務の効率と品質を高めるためにどんな努力をしたんだい?プロフェッショナルのあなたが常駐しているのに一人暮らしの学生が片手間で片付けする家より散らかっている理由は?専業なのにファミレスのバイト君より料理が下手なのはなぜ?

 

君はここまで上げた課題を何一つ満足にできていないのに、なぜ堂々としていられるのかね?

 

誰のおかげで生活できていると思っているんだ?愚痴と文句だけは人一倍で待遇だけには不満をもつ約立たずは不要だ、気に入らないなら働いて見給え。家の中でゴロゴロして最低限の家事もせず「主婦は大変」などとなめた口を聞くのが許されるほど社会は甘くないことがわかるはずだ。

 

家のプロフェッショナルになれなきゃ専業主婦はただのニートだ、しかも赤の他人に寄生して市民権を得たつもりになってる恥も知らないニートだ。

 

君の家の広さに対する不満なんてどうでもいいから掃除くらいしっかりしろ、だいたい片付けないから狭いんだろうが。自分を棚に上げて仕事に集中しないからそんな不満を持つ、モチベーションの維持も含めて君の業務なのだから、少しくらい努力しなさい。